彼自身、この軽井沢での修行に納得が言っていない様子。
これが天衣無縫の極みにどう関係するんでしょうか。
正直越前少年以上に困惑しているので、一度整理してみます。
軽井沢特訓での越前南次郎の言動
・木の枝をラケットに、小石をボールに
・「テニス楽しいか?」
・真っ暗で見えないのに枝で位置を打ちイノシシに命中
・イノシシを一撃で仕留め、晩飯にする
・「目に見える外側に囚われてるようじゃ…まだまだだぜ」
・「物事の本質を見抜けよ」
つまり天衣無縫の極みはテニスが楽しいかどうかとか、物事の本質に関ることだというのは推測できます。
本質とは何か。本質とは、あるものがそのものであると云いうるために最低限持たなければいけない性質らしいです。
それと枝と石が何の関係があるかというと……
テニスの本質です。
テニスを一言で表すと「球をラケットで打ち合って、取れなかった方が負け」な競技です。
これがテニスの本質だとするなら、テニスの本質自体にはラケットにガットが張っている必要もないですし、球も規格に基づいていたり材質にこだわったりする必要はないわけです。
ラケットはボールを打ち返すに足る強度があればよし、ボールは打ったら跳んでいく程度の大きさ、質量ならよし。
そしてリョーマと南次郎は川を挟んで向かい合っています。この川がネットです。
自陣と相手陣を区切れるのなら、ネットでなくても構わないわけですね。
それを楽しめればテニスの本質を楽しめていることになるわけです。
ポイントもいちいち数える必要はなし。とにかくテニス楽しみまくって、腹が減ったら中断してメシ調達して食って寝ようぜというノリで。
まさに自由闊達……いや、天衣無縫という言葉がしっくりきますが、じゃあその天衣無縫の極みが競技テニスで何の役に立つのかというと……
うん。すまない。全く予想できないんだ。
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